無宗教だけど「キリスト教学科」に入ってみた。

「神学部」ではなく「文学部キリスト教学科」。いったいどんな学科なのか!?

「キリスト教学科」に入学してくるのはどんな人か

一つ前の記事で書いたように、筆者はほとんど無宗教にも関わらず、

R大学の「文学部キリスト教学科」に入学した。

 

ここでいう「無宗教」というのは、より厳密にいえば、

「宗教団体への帰属意識が無い」ということである。

 

それに加え、筆者は教会に足を踏み入れたことも一度も無かった。

というよりも、田舎に住んでいたので、教会自体、

1,2回ぐらいしか見たことが無かった。

 

そんなわけで、入学当初は

クリスチャンガチ勢に圧倒されるのではないか、

信仰を前提にしていないというのは建前で本当はみんな信者なんじゃないか、

と、怯えていたことを憶えている。

 

入学直後、新入生歓迎の茶話会の案内が届いた。

後から知ったことだが、このように茶話会が開かれるのは

うちの学科だけだったという。

 

人数が40名程度のわりに、予算は他の学科なみにもらっているのだろうか・・・

そんなことを考えたりしながら、茶話会で初めて同級生と顔合わせをした。

 

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まず、男女比率であるが、正確な数字は憶えていないものの、

男:女 1:4 ぐらいであった。

つまり、男子が8名、女子が32名くらいである。

(勿論、入学年度によってこの比率は変わってくるが、

筆者が見てきたかぎりでは男子が15名を超えたことは一度も無かった。)

 

文学部自体、男子が少ないということは知っていたが、

そのなかでも、これだけ偏っているのはキリスト教学科と仏文科ぐらいだろう。

 

ちなみに、以前、仏教学部の人の話を聞いたことがあるが、

仏教学部の男女比は真逆で、圧倒的に男子の方が多かったという。

(その理由はもちろん、実家が寺でそれを継いでいる人が多いからなんだろうけれども)

 

そんなわけで、圧倒的に女子が多い「キリスト教学科」であるが、

実際にクリスチャンの人はどれぐらいいるのか。

 

これもやはり、入学年度によっても異なるが、

筆者が数年見てきた中では

 

①クリスチャン

②クリスチャンではないけどミッションスクール出身

キリスト教に縁もゆかりもない人

 

以上の人種①:②:③が2:1:1であった。

 

つまり、これまでの人生でキリスト教と関わりがあった人(①、②)が

半数を超えているものの、クリスチャンではない人(②、③)が

半数はいたのは確かである。

 

①、②に多いのは、指定校推薦である。

逆に、③の人で指定校推薦で入る人はほとんどいない。

 

あと、①、②、③どの分類の人であっても、

学部にこだわりは無く、とにかくその大学に入りたかったから、

競争率の低いという理由だけで文学部キリスト教学科を受けた人もいる。

(中には、高校時代、日本史・政経選択で

一切キリスト教について学んでいないという人もいた。)

 

そんなわけで、クリスチャンじゃないとハブられるんじゃないかという懸念は

全くの誤りであり、クリスチャンであろうがなかろうが、

正直、あんまり関係なかった。

 

<つづく>

「キリスト教学科」とは

高校時代、偏差値一覧表を眺めていると、

有名大学にもかかわらず、他と比べると比較的

狙いやすいランクにある学科があった。

 

まず、ひとつは「神学部神学科」である。

J大学やD大学、KG大学などに設置されている。

 

そして、その偏差値表を改めて眺めてみると、

似ているような位置に、似ているような学科があった。

 

それは「文学部キリスト教学科」という学科だった。

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こちらはR大学やN大学などに設置されていた。

そして、ちょっと調べてみると、日本でも1,2を争うレベルの名門大学

K大学にも文学部の専攻振り分けに「キリスト教学科」があることがわかった。

 

これらは一体何が違うのだろうか。

 

・・・と、筆者は思ったわけであるが、

そもそも、この疑問に辿り着く前に、

多くの人にとって、この学科は受験対象になりえないのではないだろうか。

 

日本の宗教人口において、キリスト教は1%。

つまり、100人に1人しかいない。

 

その中でも、わざわざこの学科に進む人は少ないであろう。

いつまでも続く就職難、そして人文学に対する世間の評価の厳しさ、

そして、キリスト教に限らず、「仏教」でも「神道」でも、

宗教の名を冠する学科には抵抗がある人もいるだろう。

 

しかし、筆者はこの学科が気になった。

 

何故かと言えば、高校時代、「倫理」が唯一の得意科目だったからだ。

センター模試で国語や英語は7割くらいしか取れなかったとしても、

倫理だけはだいたい9割以上以上取れていたのだ。

なので、どうせ大学に行くなら、興味のある学問をやりたいという

気持ちがあったのだ。

 

あと、有名な大学に入りたかったのだ! 

(こっちが本音かもしれないが・・・)

 

とはいえ、いくら「倫理」の授業が得意だからと言って、

筆者の家は葬式とお盆の時だけお寺に頼る

典型的な葬式仏教であったし、

教科書以上にキリスト教について知っていることは無かった。

 

しかし、よくよく調べてみると、どちらも必ずしも

信仰を前提としているわけではない上に、

キリスト教学科」の方はあくまで「文学部」なのだから、

学科名さえ言わなければそんなに気にならないんじゃないか。

そう思って、筆者はR大学「文学部キリスト教学科」を受験した。

 

ちなみに、筆者が受けたのはこの大学だけではない。

某大学の文化構想学部や哲学科や演劇学科、考古学科なども受けているが、

結局、受かった中で一番有名だったのは、

前述したR大学のキリスト教学科だったのだ。

 

しかし、いざ、受かってみると、

「本当に自分はここに入っていいのだろうか・・・」と悩み始め、

今一度、自分が行こうとしている学科について調べ直してみた。

今にして思うと、もっと早くに調べておけよと思うが、

両親も高卒で、「大学は行きたいところに行けばいいさ」ぐらいの

スタンスだったので、正直な話、大学に行きたいという気持ちよりも、

有名な大学に入りたいという見栄と、東京で暮らしてみたいという

田舎者精神だけで受験と向き合ってきたのである。

 

そこで、調べてみたところ、

どうやら「神学部」と「文学部キリスト教学科」は研究のスタンスが違うということが見えてきた。

 

つまり、

 

「神学」は「信仰」とは何かを問い、

キリスト教学」は「キリスト教」とは何かを問う

 

そこに違いがあるのだろうと筆者は理解した。

 

キリスト教学科」は聖職者の養成は行っておらず、

人文学上の研究対象として「キリスト教」という現象を如何にして記述することができるかを問う学問である。

 

そして「文学部」なので、他の文学部の科目も思いのほか取れる。

言ってみれば、より批判的な角度から「キリスト教」という現象を研究対象として捉えているということが分かった。

 

そんな感じで自分を無理やり納得させ、筆者はR大学キリスト教学科に入学したのであった。

 

<続く>